大野圭一のブログ

建築のことと日々のことと、

3月になって

前回の年明けの投稿から気づけば3月。

このペースだと年に6回ほどの投稿になってしまう。

それはまずいということで、もう少し肩の力を抜いて

その日あったこと、なにげなく思ったこと、つらつらと

書いていこうと決めました。

 

ということで、

今日は、いやもう昨日のこと、朝からお台場のマンションリフォームの

現場へ。いよいよ大詰めということで現場もざわつき始めました。

昼食もとらず気づけば4時間ほどの滞在。現場にいるといろいろ出てくるものです。

でもあともう少し。完成が楽しみ。

 

最近思うこと、僕の仕事はクライアントに一方的に答えを提供するのではなくて、答えを導くまでのプロセスをクライアントと共有することなんだと日々実感。そのプロセスが濃密であればあるほど、導き出された答えはクライアントと僕の間でしか作り出せないオリジナリティになるんじゃないかなと。

 

明日は、いやもう今日は朝から息子のピアノの発表会。

寝坊は許されない午前3時25分。

 

2018年年末に思ったこと

明けましておめでとうございます。

最近、とても共感できたお話を二つ。

 

先月、ラジオでD&Departmentのナガオカケンメイさんがこんなことを言っていました。

「今の時代、一般の人もデザインができるようになっている。僕自身デザイナーなのにこんなことを言うのはなんだけど、デザイナーがデザインするとどこか行き過ぎたデザインになってしまう。デザイナーは一般の人のデザインから学ぶ姿勢を持つことが大切だ。」と。

 

続けてもう一つ。年末の朝日新聞、折々のことばにて、

「受け身の心がなく、積極的に外に働きかけようとするだけのプランには、どこかに嫌味があり不自然さがある。」

解説によると、これは社会的に力を持つ人に多く見られ、人の心をつないでゆく力に欠け、状況に柔軟に対処するのも下手ということだ。

これを僕はこう解釈しました。相手(クライアント)の言うことにしっかりと耳を傾けて、その言葉の奥に潜む問題点や要望に真摯に向き合うことが大切である。と。

 

 

これらに共感できるということは、自分は学ぶ姿勢も持っているし、受け身の心も持っているんじゃないのかな。と思う反面、本当にできてるの?という思いも半分。

決めるのは自分ではなく、相手のほうですからね。

 

いずれにしても、今後仕事に限らず、普段の人との接し方のうえでも大切な考え方だと思うので、今回感じたことをしっかりと心に留めて、今年もまた日々頑張っていきたいと思います。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アアルト展

平日、天気のよい昼下がり、仕事もひと段落したということにして、葉山の神奈川県立近代美術館まで、僕の大好きな建築家、アルヴァ・アアルトの展覧会を観に行ってきました。

展示はアアルトが手掛けた家具やプロダクト、そして建築と多岐に渡っていて見どころ満載でしたが、やはりアアルトの特徴でもある曲線の美しさは本当に魅力的です。

特に建築においては、切っても切り離せない水平や垂直、直線といった要素の中に、柔らかな曲線が施されていて、それは幾何学上の曲線ではなく、もっと自然に近い曲線であって、それが建築全体の親和性みたいなところにつながっているような気がします。そしてまた、その曲線の成り立ちは、緻密な計算から導き出されたものというよりは、数多くのスタディを重ねた末に、アアルトの内面からくる感性をつきつめたところからくるのだろうなと、展示されているモックアップを見ながらそんな考えを巡らせていました。

そんな時ふと我に返り、同じ設計者として、果たして僕はそこまでデザインをつきつめられているだろうか、いやできてないよな~、と。建築家という存在の社会における立ち位置や、求められているものが時を経て変わってきているという言い訳じみたことを思い浮かべながらも、とはいえ自らが求め理想とするところには少しでも近づきたいな思い直す次第。

何はともあれ、他人がクリエイトしたものを見ることは、自分に新しいインスピレーションを与えてくれると同時に、自分自身を一歩引いたところから眺めるよいきっかけになります。

帰る前、気晴らしに美術館近くの砂浜をとぼとぼひとり散歩をしましたが、気持ちはすでに現実に戻っていたのでした。

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夏の思い出

「私が子供の頃、東京でクマゼミと出会うことはなかった。だから、関西旅行の際、はじめて見たこの大型のセミに魅了された。黒光りする甲冑のような背に透明な翅(ハネ)。」

今日の新聞に掲載されていた、生物学者福岡伸一さんのコラムの一文。

その後の幼虫から羽化する様子を描写する文章にも感心したのだけど、まずはこの序文に、僕が子供のころもまさにそうだったなあと、共感して思わず微笑んでしまいました。

 

今年の夏、初めて息子とセミ採りをしましたが、まだ背が届かないので、僕が網を持ちセミを捕まえることに。何年ぶりでしょうか、セミを捕まえるなんて。蚊にさされながら息子と夢中でセミをさがし、しばし童心に返らせてもらいました。

いや~、楽しかったな~

網に入ったセミを手に持ち替えて息子に見せる僕の顔はドヤ顔だったに違いありません。

 

ここ神奈川県では、ほとんどがアブラゼミの中、時おりクマゼミの声も聞こえていましたが、今年はその姿を見ることができませんでした。

来年はぜひとも黒光りする甲冑をまとったクマゼミを、息子と一緒に捕まえたいなと今年の夏を振り返るのでした。

キャンプ

先週末は幼稚園のお友達家族と一緒に鴨川へキャンプに。

キャンプを極める人はいかに軽装で行けるかを考えるそうですが、昨年から始めたビギナーキャンパーのわが家は、車に乗り切らないぐらいの荷物を詰め込み、とにかく道具に頼っていかに快適に過ごすかということを今は楽しんでいます。

子供も小さいのでしばらくはこの楽しみ方かなとは思っていますが、いつかはストイックなキャンプも楽しんでみたいなと。そうなるとたぶん妻はついてこないでしょうが。

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帰りは疲れた体にむちを打ち、鴨川シーワールドに立ち寄りました。

そこで久しぶりに食べたクレープが美味しかったこと。僕にとってはこれが一番の思い出です。もちろんかわいい魚や、イルカのショーなども楽しめましたよ。

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松山と八幡浜へ

先週、とあるコンペの敷地の視察と現地説明会のため、1泊2日で愛媛県へ。

久しぶりの建物探訪。なかなか有意義でした。

 

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到着してまず行ったのが伊丹十三記念館。周辺環境があまりよろしくないだけに、中庭型として内に向けた建築を計画したことに強く共感。また中庭の広さが程よくて、住宅作家の中村好文さんらしいとても温かい空間が印象的でした。

 

そして次は安藤忠雄設計の坂の上の雲ミュージアムへ。体調が思わしくなく、ここの写真は一枚も撮らずに終わり。スロープを上り続ける動線は体調が良くなかったこともあってか、ちょっと辛かった。。

 

夜には道後温泉へと思っていましたが、やはり体調が思わしくなく、翌日の視察を優先し夜はホテルでおとなしくしていました。ちょっと薄着しすぎたかな。

 

 

翌日は、すっかり体調もよくなり、レンタカーで八幡浜市まで。市が説明会の前後に市内の古い小学校の見学を用意してくださっており、全部で3校見ることができました。

 

まずは閉校となっている川之内小学校へ。

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半外部、土間、天井の高い廊下、ハイサイドライト、そして時を経た木質仕上げ、この組み合わせは最強。もっといい写真が撮りたかった。。見学者もいっぱい。

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周辺のいたるところで見られた石垣。

 

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ファサードはモダンであり土着的。うっとりしてしまうこのバランス。これは時間の経過がなせる業なのでしょうか。

 

その後に見学した日土小学校は、重要文化財でありながら今も現役の学校で、見学の際にも小学生がいたため写真は非公開とします。だけど見学した中ではここが一番のお気に入り。

設計の松村正恒氏は、過去に土浦亀城のもとで勤務していたということで、この学校にも、土浦亀城邸に通ずるところが随所に見られ本当に感動的でした。

 

さて、コンペのほう、頑張らねば。

 

 

 

人生フルーツ

また映画の話。

 

前回同様、新百合ヶ丘のミニシアターまで電動ママチャリで行ってきましたが、途中桜もまだまだきれいに咲いていて、最近の不安定な天気の中よく残ってくれたなあと桜に感謝しつつ、午前中のさわやかな天気の中、ご機嫌に軽いペダルをこいで行きました。

 

今日観たのは「人生フルーツ」。

ある老夫婦のドキュメンタリー映画です。2人とも本当に魅力的で、こういう老夫婦になりたいなあと思いますが、その魅力はとうてい真似をすることはできません。人の魅力はそれまでに積み重ねてきた年月がそのまま現れてくるのだと改めて感じさせられます。

この映画の中でもうひとつ印象に残ったのが、映画の中で夫が亡くなってしまったことです。涙がこらえきれません。これは本当の死であること、1時間ちょっとの間でこの夫婦の魅力にほれ込んでしまったこと、それから夫90妻87という年齢によって、冒頭からうっすらと漂っていた人生の終焉の空気、それに対していつまでも生き続けてほしいという願望がある中での死。

映画の1シーンとは思えないリアルな感情が湧き起こりました。

 

本当にいい映画です。

夫婦、もしくは大切なパートナーと一緒に観てもらいたい映画です。

 

映画『人生フルーツ』公式サイト